掃骨鍼法はコロンブスの卵 

               (『医道の日本』1996年10月号<第626号> 掲載分)
                       小橋正枝(免許23年/開業21年)


 「ハリ」の存在価値、鍼灸師の存在理由とはいったい何なのだろう....。自分の
仕事に自信と誇りを持ちたくて、また本当にお役に立ちたくて、そう考え続けてきた。
 そこで、患者さんとのインフォームド・コンセントを密にし、行きついた所は『骨』
であった。そこへのアプローチの手段が『小山曲泉流掃骨鍼法』

 体重のおよそ50%は筋肉、同じく20%が骨...身体の7割が運動器という訳だ。
とりわけ、その筋肉は骨に植わっている。多彩なADL(日常生活動作)によって傷つ
き、汚れ、栄養は持って行かれ・・・悲鳴をあげているのは他ならぬ骨格であると思い
定めて...。


 §まず骨格の治療に取り組む

 それは80歳のおじいさんの肩と、70歳のおばあさんのお尻から始まった。「当た
らずさわらず」「しないよりもまし」「一生懸命が取り得」の域を脱しないまま高齢出
産→子育てに突入。数年のブランクで鍼を握るのも億劫になっていた頃、親友が忙しく
てダウンし、私にSOSコール。そこで家族の協力を得て、週2回のパートタイマーと
して応援に馳せ参じることになった。

 さて、担当することになった80歳のおじいさんのカルテを繰ってみて、さあ困った。
研究熱心な院長だけあって、すでにあの手この手の処方済み。手が替わればの期待から、
患者は、

 「痛みは早うに止めてもらいましたが、左の肩がつかめませんねん」

 こないしたらここが、あないしたらあそこが・・・・。とADLを再現して見せてく
ださる。この患者、医師とのコミュニケーションも良くて、通院の際には奥さまに障害
点にマジックペンで印をつけてもらい、局所麻酔も試みているという。
 新参の筆者としては、明治鍼灸専門学校(現明治東洋医学院専門学校)が、"他生の縁"
で、小山曲泉先生の掃骨鍼法が頼みの綱である。患者の熱心な寛解を望む心と、院長の
太っ腹に支えられて骨格の治療に取り組む。

 圧痛点、硬結は絶好の治療点である。特にしこり骨を根っこにして筋中に生え
たマッシュルーム
のようなもの。カサの部分は抜き足差し足、軸の部分も忍び足で、
ガツンと根っこの部分に当たったらそこが師の言う治療ポイントである。
 掃骨鍼法については、おさらいの意味で後で述べるが、その局所は「飴煮き」(あめ
だき)を想像して頂くと患者諸氏にも良く理解してもらえる。健康な血液はお醤油状
寝ている間にソース状、疲れがたまるとケチャップや煮こごり状になる。患部の「マッ
シュルーム」は、多くは筋の起始部、停止部、付着部に生じ、「煮つまり→おこげ→
鍋の傷」といった具合になる。

 仕上げは、患者にADLをお試し頂き、つっぱる、痛い、だるい、物足りないなどの
自覚症状を対象に追加バリをする。前段が十分なら、これは大して時間はかからない。
この鍼法は初体験とのことなので、

 「メンケン(だるさ)出るかもよ」

 と念を押しながら追跡すること2~3回。

 おじいさんは、

 「反対側の肩がつかめますねん。仰向けに寝てこうやって(バンザイの姿勢で)
 畳がこすれますねん」

 とうれしそうな顔。針を通して信頼関係が出来上がったお一人目。


 §灸は大好き、ハリは好みまへん

 次に印象深い二人目の患者さんは、いつもお手製の着物がしどけないおばあさま。

 「足がつろうてつろうて」

 と言うので見れば、まあ、左下腿を重点に所構わず灸痕だらけ。その大きさも5mm
から10mmの黒こげ状。良く潰瘍にならないものである。

 さて、このあばあさま、「灸は大好き。ハリはあんまり好みまへん」・・・そう言
われても、これだけすえてあれば、お灸はもうたくさん。私はハリをさせて頂きまし
ょう、「刺されるのがお嫌ならパルスなどを併用し、とにかく血の巡りを良くしまし
ょう」と説明したが、なかなかウンと言わない。奥の手、切り札が使えぬままの数回
目。患者の背中を眺めながら手をこまねいていると、

 「台所に立っていたら、この辺がたまらんほど、だるおますねん」

 と、左の臀部をさする。左右の臀部を触診し、深部を按圧して見ると、これはしか
り、はっきりと左に大きなシコリがあった。それも寛骨(臀点周辺)にべったりとは
りつくような---。

 「悪いけどハリさせてもらえる?」

 「もう、どないでもしとくんなはれ」

 というわけで、お尻をめくれるだけめくらせて頂いて、十分な前揉法で病巣の存在
を知らしめてから、2寸5分でも届きにくかったので中国鍼に持ち替えた。ずいぶん
扁平だけど例のきのこ状の根っこの部分に試鍼。

 「あ、それですわぁ」

 と、あまり痛がりもしないので、ザクザクと掻爬してから全身療法でバランスをと
る。メンケンについて再度説明し、3日後にもう一度調整しましょうと、予約をして
お帰り頂いた。

 さて、3日後の予約の時刻・・・・来ない。診療時間終了・・・・来ない。連絡も
ない。さてさて、また寝込んでしまったか?
 一週間後、おばさんはニコニコして現れた。

 「どうしました?」

 「良かったですねん。あの日の帰り、バスが来たとき停留所まで走れましてんがな。
あんまり調子が良うて、予約のこと、コロッと忘れてしもて。次の日、院長にお尋ねし
て、おうちへ電話させてもらいましてん。そしたら先生まだ来てはらへん言わはって」

 一体、どこの電話を教えて誰と話をしたのやら。笑い話のおまけ付きである。下駄ば
きで裾を蹴立てて走る姿を想像して、心配するやらうれしいやら。顴骨の治療で下肢の
の諸症状が寛解し、掃骨鍼法OKの二人目、とはいってもハリが大好きになったわけで
はなく、按圧を始めると、

 「ちょっと待っとくんなはれや」

 「ん?」

 「覚悟しますよって」

 と言うような会話が続いた。
 このようにして、患者さんとインフォームド・コンセントを重ね、治療にも参加して
頂きながら積み上げた症例は、頭のてっぺんから足の裏、指の先まで。これらの症例を
解剖図に点描すると、結局は骨稜をなぞり関節をなぞりということになる。とりわけ、
鞭打ち症は頸椎といわず外頭蓋底といわず硬縮、癒着が激しいので経穴にとらわれず術
者の触診と刺鍼感と、患者の自覚症状を最大限に生かすべきである。

 いずれにせよ、押し手と運鍼がものを言うわけだが、患者さんに発言・表現の自由を
差し上げれば、それこそ奥の院の金庫(といっても歯科領域の虫歯のような)を掻き回
してくるぐらいの威力は発揮できる。これは鍼にしかできない。
 皮膚レベル、筋レベルの療法ならアレンジも多彩で、その効果も十人十色であろうが
目標を骨格に定めるときは、実存の病巣に直接アプローチするのだから極めて再現性は
高いと言えるだろう。虫歯は研磨して詰め物をしてもらわねばならないが、骨は2年半
の周期をもって再生が可能と言われている。根こそぎのリストラ、リフォームが期待さ
れる。


 §多発性骨髄腫に出会って

 ここまで書き進めたところで、『医道の日本』1996年6月号の故島田隆司先生の
癌患者の症例報告(「特集・患者からの相談シリーズ〔各論〕〔5〕癌(上)36頁参
照」)に接し、これほど真剣な取り組みがあったかと、心の引き締まる思いと感激を新
たにした。筆者にも、それは成り行き上ではあったが、多発性骨髄腫の症例がある。


〔多発性骨髄腫 H.S(昭和20年生、男性)〕

 1994年2月5日、腰痛を訴えて来院。腰椎~腸骨稜に沿って圧痛および運動痛。
 3月6日 腰~下肢の疼痛と運動痛。圧痛著明。脛骨にも異常(浸潤?)があり、メ
ンケンが5時間ほど続いたのち軽快。
 3月28日、人との約束ごとが守りづらいぐらい不調が続く。「骨粗鬆症の疑い」に
よって検査入院。精密検査の結果、多発性骨髄腫との告知を受け、専門書からこぴーし
た約3ページ分の解説を手渡される。が、事の重大さを認識するまでには、なお数ヶ月
を要することとなる。
 H.Sさんは、仕事の都合や家庭の事情から、入院加療が不可能だったため、縁者で
ある私たちにも助力を求めてこられた。私たちは、東洋医学に造詣の深い医師にも相談
した上、いろいろと無い知恵をしぼった。食物を選ぶ一方、治療によって湧出してくる
老廃物の解毒を助けるためSOD(スーパーオキシドジムスターゼ:活性酸素を分解す
る酵素)作用の強い食品、お茶などを積極的に取り入れる。また、ストロンチウム、カ
リウムなどを含むカーボン治療を併用するなど、と試みてみた。

 しかし、病気の性質上、骨髄の豊富な部分がおいでおいでをするように浸潤していく。
十二分に加療した部分は数日後に固さを取り戻すが、栄養が行き渡るまもなく再発する。
体力の問題もあって、予防のハリを打ちまくるわけにもいかず、まさに祈りながらの治
療が続いた。
 毎月の検査で腎機能が回復を示し尿蛋白が減少、小康状態が保てるようになってきた
のが唯一の救いであった。が、1995年の年始より、あろう事かインフルエンザにか
かってしまった。食事が摂れず起居も不能。こうなってはもうお手上げである。しかし
幸いなことに、奥さんがどうやら仕事の代理が出来るようになったので、やっと入院の
運びとなる。早速インターフェロンを投与した。1月19日から1/2クール、2月3
日から残り1/2クール。

 高熱、食欲不振などの副作用はあったものの劇的な著効が見られ、まもなく起き上がっ
て院内を元気に歩く姿を見て、主治医も涙を流して喜んで下さったという。
 たった1れいではあるが、島田先生ご指摘のように、大難を小難にする指示療法とし
ての一翼を担えたのではないかと考えている。1996年6月現在、180㌢近かった
見事なプロポーションも15㌢ほど縮んだとはいえ、体調は極めて良く、痛みもなく本
人は現状維持できればと願っているが、血液像に今一つ心配がある由。再度のインター
フェロン治療を勧められている。一方私のほうは、夾脊~骨盤の反応点に適宜に選穴を
し、自宅での施灸を指示した。後日良い結果が報告できれば、と願っている。このよう
にして、骨格に注目せざるを得なくなったのは真に幸いであった。というのも、「骨に
触れる技術は未熟だ」とか「邪道」だとかいう意見が、ずいぶん長い間、筆者の妨げと
なっていたからである。だが試みに問うてみると、次のようになるのではないだろうか?


 §骨の働きと特徴について


 骨は、運動器として支持・移動の機能をもつだけでなく、

 (1)骨髄は血球を作る造血臓器であり抗体を産生して身体の防御作用に役立っている[1]

 (2)骨膜は、骨室の表面を覆い、多くの血管、リンパ管、神経が集まり、骨芽細胞が出
て新しい骨の成長と再生を司っている[1]

 (3)痛覚を伝導する神経にはA繊維とC繊維とがある。前者は太くて有髄、後者は細くて
無髄で、刺激の伝導速度は遅いが、直接視床に伝えられる。骨膜はこのC繊維の終末
(受容器)に富んでいる[3]。又、骨の栄養は全て骨膜の側から行われる。

骨髄も、栄養孔を経て骨膜側から栄養されている。

 また、Lawrence(米)は、鎮痛に特に有効なキーポイントを全身の骨膜上に120ヶ所
発見した[2]と言い、Voglor(独)も骨膜上にデルマトームほど明らかではないが痛覚の過
敏帯が認められる[3]とも言っている。等々の背景から、掃骨鍼法は骨格への一療法とし
て大変魅力がある療法だと考えている。そのあらましを紹介させて頂くが、独断と偏見が
あればお許しください。


 《 掃骨鍼法について 》

(1)創始者
 小山曲泉(1912~94)、薬剤師、明治鍼灸専門学校卒。同校講師として後進を指導、病弱
な奥様のために鍼灸を志し「骨疼き」に対応できる方法として掃骨鍼法を編み出された。
したがって、氏の著著には「神経痛掃骨鍼法」(明治東洋医学院出版部、絶版)として神経
痛の名が冠せられているが、関西鍼灸短期大学の黒岩共一助教授のご意見ならびに筆者の
臨床体験からも不要と考え、表題のように「神経痛」を削除して示した。

(2)掃骨鍼法についての見解

 (1)鍼灸における外科的特殊療法である。
 (2)多様な神経症状に有効
 (3)師は病態の終末を骨の老化性枯孔(ここう)と呼んで治療ポイントを骨~骨膜上に求め
  ている。
 (4)治療の帰転は病変からの可逆性。

(3)同法のの手技
 (1)押手:圧痛、硬結、運動障害、「自覚症状などを目標に、病巣を最短距離で
         按圧、把握。
 (2)刺入:筋、軟部組織の傷を最小限に病巣にジャストミート。
 (3)手技:局所の病態、患者の反応を確かめながら病巣を蚕食するが如き細心の雀啄術。
その感触はジャリジャリ、ポリポリ、ガリガリ、ネバネバ、ギシギシ・・・・。鍼に食い
つくようだったり、トランポリンのように跳ね返してきたり・・・・。

 筆者は、できるだけこの様子を患者に伝える。すると患者もナイスキャッチしてくれる。
そして期待する所はひたすら血の巡り。


 《 骨格ケレン 》

(1)その療法
 建物の汚れ落としを「ケレン」と言うそうである。不摂生や運動の過不足による極めて
アンバランスな筋、軟部組織の中で傷つき汚れ、栄養も届けられず、ダブルパンチ、トリ
プルパンチを食ってかわいそうな骨格。その骨格の分解掃除(?)を称して筆者は「骨格
ケレン」と名付けた。
 「医学的治療を求める患者の大部分は、身体の動く部分の痛みと機能障害である」
 と述べている。そこで「痛みがなく、支持性・安定性に富み、良く動く骨格アラインメ
ント」という理想的な身体の再構築を目指して、次のような療法を提唱したい。
 第一段 脳と末梢をつなぐケーブルの通過点、項部・頸部をほぐす。
 第二段 自律神経、脊柱起立筋などのターミナル(夾脊穴)をほぐし、脊椎諸関節を緩
     め、内臓の働きを高め、自浄作用を促す。
 第三段 掃骨鍼法の得意技、主訴に対応する。
 第一・第二段は定期的な健康管理や疲労回復に、第三段はADLの改善に抜群に効く。

(2)運用上の諸注意

 (1)炎症性、急性期、神経症的な人、体力低下が著しい時、胸部疾患のある人には留意。

 (2)単なる深バリ、強刺激を目論んではならない。骨格の認識を深め、身体にリスト
ラをお願いするような心遣いで。

 (3)用いるハリは、現在使用中のものから必要に応じて持ち替える。筆者は、慣れた
人の場合、寸六-4番、二寸7~8番の硬質スーパー鍼を主軸に上・下五、六段構えの用意
をしている。
 ・ディスポーザブル 時に応じて鍼キープ 消毒念々 自他を防衛

 ・急性期 炎症あれば時期を待ち 心静かに 錆削ぎ落とす

 (4)メンケン(一過性加療反応)について

 疲労物質が沈着していく逆を考え、生体が認識しなくなった、もしくは認識してもお手
上げ状態のサビ、古傷を掻爬することで、新しい刺激物に変換する。そこで、ふやけ、溶
かされ、血流に乗って、肝臓、腎臓で解毒→排泄となる。生体の化学処理はおよそ48時
間かかるといわれ、したがってメンケンは、このお掃除中と考えて頂く。こうしてサビが
減ってくれれば、それだけのメンケンの期間は短くなり、限りなく健康体へと近づいてい
く。
 この理論を肯定し体感して下さる患者さんが増えつつあってうれしいのですが、ここで
ひとつ反省。

 ・今満ちた 己に足りたと顧みれば 行く手は遙か 未だ道の辺


 ゴマメの歯ぎしり
 患者、術者とも納得のいく料金設定はできないものか。徹底した「治療」を目標とする
時、現行(健保で1520円、労災でさえも3980円)では、術者に対して猛烈なボラ
ンティアを強いている。もしくは優良な治療が放棄されるのでは?

 しからば自費? 患者さんのポケットマネーでは、慢性疾患に対して自ずと限度がある。
それとも鍼灸は富者の贅沢としてのみ効力を発揮しているのか?
 医療として社会ニーズに応えるべく、全国レベルで患者さんを紹介しあえる技術集団に
なれないものか・・・・。
 鍼灸師会には、遅ればせながら1994年、スポーツ障害の研修を機に入会させて頂い
た。鍼灸師魂に火はついたものの、いまだ井の中の蛙である。今後とも各方面からのご指
導、ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。


〔追記〕文中の多発性骨髄腫のH・S氏は、1999年11月、残念ながら逝去された。距離的
な面、健保扱いの困難、鍼灸師ネットワークの欠如などから、小康状態を保てるようにな
ると中断を余儀なくされ、最終段階で依頼を受けた時には、ひたすら補鍼に努めるのが精
いっぱいであった。(『医道の日本臨時増刊No.3』「在宅ケアの現場で活躍するあ・は・
き師たち5」医道の日本、153~157頁参照)
 が、ご家族の支え、ご本人の信念から、生命(いのち)ギリギリまで家庭にあって家業
を引き継がれた奥様を支援されていた。大往生であった。合掌。


<引用文献>
[1] 人体解剖図説Ⅰ 運動器 kahle/Leonharot/Pkatzer著、越智淳三訳、文光堂
[2] OSTED PUNCTURE Anne N. Lowenkopt著、山田新一郎抄訳、
                      明治東洋医学院機関誌、1979年11月号
[3] 内科疾患の神経領帯療法、F.ディトマー、E.ドプナー共著、
                        間中喜雄訳、医道の日本社(絶版)
[4] 軟部組織の痛みと機能障害、Rene Calliet, M.D.著、荻嶋秀男訳、医師薬出版

                  (『医道の日本』1996年10月号<第626号>掲載)

●筆者略歴
 1945年、熊本県に生まれる。
 1964年、大阪府立西野田工業高校工業デザイン科卒業。
 1980年、明治東洋医学院専門学校鍼灸科卒業。学業のかたわら眼科医院、内科医院、整
     形外科医院などで就業。
 1982年、阪急神戸線神崎川に小橋鍼灸院(はり・きゅうのこばし)開業。
 2000年、現在地に移転。

●連絡先
 〒532-0025 大阪市淀川区新北野1-3-4-409 淀川リバーサイドマンション4F こばし鍼灸院



後  記
 この度、玄珠堂さまから思いがけずHP掲載のお勧めを頂き、とても嬉しく感謝申し上げ
ます。今、読み直してみましても、手技.心意気等何ら変わること無く、書き直しもあま
り意味を持たないと思いますため、誤字.脱字.言葉遣いのみ少し手直し致しました。」
 進歩の無いのはお恥しいですが、当時からの患者方の曰く、「せんせぇ、迷いが無うなっ
たねぇ。」.....これを、お励ましの言葉として尊く頂き、精進続けて参ります。

                 今後ともどうぞよろしくご指導ご鞭撻のほどを。

              平成22年5月25日     研珠庵acupu 小橋正枝


掃骨鍼法を駆使したムチウチ損傷の治癒例


「どんな治療も体にこたえるからアカン!」と言いながら来院した
痛み、ひきつり、こわばりなど多岐にわたる愁訴を持つ
虚弱患者の例




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